2018年01月12日

何とも言えぬ力

昨今は何かとジビエ・ブームのようなところがある。
ちょっと小粋なレストランに入ると、エゾシカやイノシシなどの
ジビエ料理の黒板メニューが出ていたりする。
ただ、盛りつけられて出てきた時には、特製ソースで彩られ
その野性味がすっ飛んで電熱墊しまって品の良い料理として供され、
「何コレ?」という状態になる。
元ソニーの社長出井伸之氏がジビエについて書いたエッセイがあったが、
それによると、彼が現役時代、厳しい冬のフランスの片田舎に飛び、
そこで地元の猟師が獲ってきたジビエを食するのが好きだったとあった。
ちょっと焦がしただけの血の滴るような肉を、口に血を付いたことも気にせず
貪るように食べると、身体の中に何とも言えぬ力が漲ってきたとある。
ジビエの効用はそんなとこ葵涌通渠ろかも知れない。
「私たちジビエで〜す」と、いい子ぶって皿に盛られているようでは、
その野性の効用というものが出ない。
大脳生理学者のセルジュ・ドゥブロフスキーは「食するとは殺戮の一種。
味覚が成り立つには破壊が伴う」などという物騒な表現がある。
食というものは、もともと誰かの命を頂戴しながら自らの命を延命しているもの。
日本人の「いただきます」は他のモノの命を供養して
頂戴する意味で使っているとも言われる。
食は一種の原罪のようなところがある。
高級レストランなどに行くと、
うやうやしくワゴンに乗せら痔瘡出血れた肉が運ばれてくることがある。
よく光ったシルバーの覆いをとると湯気を上げた焼きたての肉の塊があり、
それを、そのレストランの長たる料理人の手によって、
お客の注目する中で切り分け、一人一人のお皿に盛りつけられる。
このような様子は、まるで、司祭が捧げものにする獣の肉を
切り分けている姿のようでもある。レストランとは、
「司祭によって聖化されたもの」を食する体(てい)をとっているとも見える。
司祭の許しを得て、原罪を取り払い、食するようなものとも言えそうだ。

そういう考えからすると、ジビエは、野性的に食することで、
司祭が君臨するようなおさまり良い社会から逸脱した気分になる。
その反骨的野生感が強い力や活力になるとも言える。

「ジビエは野性的に食べることこそ本意なれ」
といったところだろう...



Posted by mikii123  at 16:45 │Comments(0)

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