2018年04月24日

連日のお天気で

週末、珍しくイレギュラーも無く、順調に運んでほぼ残業なしで帰れた。いや、すれば仕事はあるのだが、週末くらいは早く帰りたかったし、帰っても何とかなりそうだったので帰る事にした。
昨日は日曜日、そして今日はキヨちゃんのデイで連休を貰っていたのだが、何ともバタバタした二日間だった。
実は昨日はキヨちゃんは「茶畑」の草取りをして欲しかったのだが、リュウのシャンプーの予約を入れていたり、別件で用事があったので無理だったのだ。
「ほんなら送ってくれたら母ちゃん一人でぼつぼつするannie g chan。終わったら親戚で待つけん、迎えに来て。」
キヨちゃんがそう言うので、とりあえずもう片づけたい毛布類なんかを何度か洗濯したり、布団を干したりしてから、キヨちゃんを送り届けて、リュウを送りついでに買い物に行った。
とは言え、時間が無いので隣町へはいけない。しかし近くは日曜で休み。そして近所にあったコンビニは閉店。仕方ないので、車で15分くらいの店で買い物した。
キヨちゃんの事を親戚に頼もうと思っていたが、朝は連絡が付かなかった。すると着信を観て私の買い物中に電話。
「母さんがそこに来たら電話ちょうだい。迎えに行くけん。」
と言ったのだが、気にしてくれて結局姉ちゃんは畑に出向き、しかも畑仕事を手伝ってくれたらしい。・・・娘よりキヨちゃんの役に立ってる(汗)。
電話があって迎えに行って割痔瘡手術、あれこれ片づけていたら、
「母ちゃん焼酎が無い。」
と言う。なので、もう一度買い物に。
夜はすき焼きにしたので、食べるまでは皆テンションが上がっていたのだが、食べてみてびっくり。あの、冷蔵庫が正常に働かない騒動の間に、どうやら解凍再冷凍をしたようで、いいお肉なのにシッパシパになっていた。あああああああ・・・・・。泣けてくる。
そうこうしていると甥っ子から電話。
「姉ちゃんサバいる?」
甥っ子は釣りに行っていたらしい。帰りにサバを沢山くれたのだが、本人いわく、
「イワシみたいなサバでよ。」
なるほど、サイズはカタクチイワシである。
「小さいのは2枚下ろしで南蛮漬けとかにいいよ。ちょっと大きめのは3枚におろしてフライとか。」
断わっておくが、本当にイワシサイズである。これを下ろす腕は私には無い。
とりあえず、頭と内臓を処理したのだが、数が結構あってなかなか時間がかかった。大きさ別に分けて冷凍。
そして今日、キヨちゃんをデイに送り出してから佐敦通渠、互助会の用事であちこちした。昨日もらったサバを味噌炊きにしたかったので、家に無かった生姜、そしてキヨちゃんがお墓参りをしたいと言っていたので花を買いに走った。
家についてキヨちゃんが戻るまでに圧力鍋で・・・と、すべての調味料を順に投入していたが、肝心の味噌になってケースが空と気付く。確か味噌は買い置きがあるので買うな・・・と言われていたのだが、探しても無い。
そこでデイに電話して確認。
「いつもお母さんが座っている後ろに、四角い入れ物・・・ってジェスチャーでしてます。」
とスタッフ。
しかし、探しても無い。仕方ないので、キヨちゃんが戻ってから探したが、結局見つからなかった。大体、キヨちゃんがそうだと思っていた入れ物は空だし、しかも丸いし・・・。
そこで困った時の大所帯の親戚。案の定買い置きがあったのでひとつ分けてもらった。
圧力鍋の火を止めて、おしたしの下準備が出来た時点で墓参りに。連日のお天気で、水はすっかり無くなり、ハナシバや花はドライフラワーになっていた。元気なのは草ばかり。
戻って圧力鍋を開けて味を観る。レシピ通りで骨まで食べられる味噌煮になったが、
「辛過ぎる。」
とキヨちゃん。ちょっと辛いな・・・とは思った。砂糖が上手く入らなかったようだ。で、薄めて味を付けなおしたが、くりりんから
「ちょっと水臭い。」
と言われる。やはり軌道修正は無理だったか。次回頑張ろう。
さて、明日からまた月末に向けて・・・なのだが、明日はお天気が荒れるらしい。訪問先に迷惑にならないように、タオル持参しなきゃ。濡れたら困るなあ・・・。
  


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2018年04月24日

意外なことに

簡単にではあるが、この3人組の功績を振り返ってみよう。

オカマとヤクザとコメディアン。
はたまたハードロッカーと演歌歌手とフォークシンガー。
ビジュアルも音楽性もバラバラなのだけれども、意外なことに活動休止期間はゼロ。
1983年発売の「メリーアン」以来、リリースする全シングルは必ずオリコンチャート入りを果たす。
近年はアルバムの発売間隔が空くようになったが、毎年コンスタントに楽曲をリリースしている。

スタジオワークに負けじと、ライブツアーも精力的にこなしている。
毎年の春ツアーと秋ツアーを欠かさず日本全国を回り、通算ライブ回数は2,500回を超えた。
国内すべてのドームでライブイベント(こけら落とし公演が多い)を開催。
武道館ライブは日本人最多の90回を数える。(歴代一位はクラプトン先生の91回)
日本初の10万人動員ライブコンサートを敢行する。(1986年「TOKYO BAY AREA」ライブ)
2DAYSコンサートのセットリストが、半分以上入れ替わることもザラだ。
#高見沢俊彦の思いつきから、その場でセトリが変更されたこともあったとかなかったとか (笑)

もちろん「レジェンド」と呼ばれる音楽グループは日本国内にたくさんある。
けれども上に挙げたすべてを網羅しているグループは、わたしが知る限りTHE ALFEEだけだ。
上積み期間10年を含む結成45周年を迎えて、今なお勤続年数(笑)を積み上げている。
そんな希有なロックバンドは世界レベルでも珍しいのではないかと思う。
#具体的な名前を書いてしまって恐縮だが、サザンファンの友人にはいつも羨ましがられる

「我が国が世界に誇る唯一無二のロックバンド」と呼ぶことをためらう理由が見当たらない。

そんなTHE ALFEEを知ったのは、わたしが高校1年生の頃。
わたしが初めてTHE ALFEEのライブに参加したのは2011年の武道館。
還暦を迎えた今も、昔と変わらない姿でステージに立ち続けてくれている。
歳を重ねて髪は薄くなったものの、彼らのパワフルさが衰える気配は微塵もない。
これって凄いことですよ、いやホント。

「いつでも俺たちはここ(ステージ)で待ってるからな!!」

そんな風に呼びかけてくれるアーティストって、他に居ないよね (笑)

ファンが「帰る場所」をいつも準備してくれるメンバーに、心からの感謝を。
あなた達がステージに立ち続けてくれたから、わたしもあなた達に会うことができました。
今後もわたしたちファンに、変わらぬ愛と夢を魅せ続けてくださいませ。  


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2018年02月12日

認められたい

社会で活躍したい、自分の持っている力を出したい、認められたい、社会と繋がりを持ちたい、関わっていたい、、、、
そう願い、少々職場で不満を抱えながらも頑張って働いている、ある女性。
元々は、和食の料理屋新娘化妝、割烹でご主人のサポート役だったが、独立した。

わたしは、もうそんな気はない。
働かない。
仕事を軸に社会と関わるには、わたしは、老いぼれすぎている。
適材適所、まだ出来る仕事もあると思われるが、しない。
やる気がない。
全ての時間を仕事以外に使いたい。
定年退職後、あえて再就職しない男性と同じ。

人には色々事情があるので、働きたくなくても働かなければいけない人は大勢いる。
国の税金で養っていただける場合でも HIFU 瘦面、その道は選ばない人も多い。

わたしは、もう仕事はしたくない。
自分だけ生きるには、それほど多額の費用は必要ではない。
社会に還元するほどの、見上げた人間でもない。
自己チュー。
人に迷惑をかけず、有り難がられもせず、ひっそり自分を娯しむ。

みなさんに喜んでいただくのが生き甲斐という方もおられる。
そういう立派な人もいるが、中には、おこがましい人もいる。
ボランティアのマジックショーなどは問題ない。
しかし、喜ばせる人は割痔瘡手術、喜んでいただく人よりも能力が上回らなければ無理なケースもあるが、本人には自覚がない。
無垢な幼児が老人ホームに慰問するならわかるが、上から目線を感じる傲慢さを感じることがある。
していただく人は喜んでいるとすれば、まあそれで良いのかも知れない。
人の道、余計なお世話。

なにしろ、わたしは、自分が見えていない、天狗さんが苦手なのである。
見たくないのに、天狗さんが見えてしまうわたしも、不憫である。
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2018年02月12日

あらゆる世代の女性

 テレビのバラエティ番組で、夫の操縦法について、あらゆる世代の女性たちにしたアンケートの結果を発表していた。

 で、あなたにも質問。
 このアンケートでハエある1位を獲得した(一番大きな蝿を捕ったんじゃないよ)夫操縦法は、どういう方法だったかわかる?

 回答。1位は「夫はおだてて使え!」だった。
 驚くなかれ、全体の実に61%の女性が、夫を操縦するうえでこの方法が最も効果があると答えたのだ。
 「おだてて使え」は「ホメて使え」と言い換えることもできるだろう。

 これはわが身をふり返ってみても充分にうなずける。
 たまたまなにかで女房の仕事を手伝ったりすると、彼女はたいていホメる。くすぐったいくらいホメる。くすぐったくて体をくねくねしたくなるほど。

 半ボケとはいえ、わしだって内心では分かってる。ハハーン敵さん、うまいことホメてわしを使おうとしとるな、と。
 そうと分かっていながら気分悪くないところが、この方法のすぐれている理由のひとつだ。で、頼まれていないことまで、「ついでにこれもやる?」などと言ってしまう。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ」
 誰でも一度はどこかで聞いたことのある山本五十六元帥の有名な言葉だ。
 元帥さん没後75年経つが、この言葉だけはしっかり生きている。それだけこの言葉には真実性があるのだろう。

 最近は特に、家庭でも学校でも職場でも「褒めて育てる」ということがさかんに言われる。
 先日も、元女子プロゴルファー古閑三保さんがテレビ話していた。
 彼女は、父親から徹底的にホメられて育ったそうだ。「お前は天才だ」というのは序の口、ゴルフ関連では何やってもホメられる。ホメることがない日は、ごはんをよく食べたといってホメられた。それが彼女を賞金女王にまでした理由のひつであるのはまちがいなかろう。

 だが問題もある。
 日本人はいちど良いとなると、なんでもかんでもそれ一辺倒になるトコロが、あまりホメられたトコロじゃない。
 何のためにホメるのか、ホメてどういう方向へ導きたいのか、そもそもその子の性格を見極めたうえで、どのような人間に育てたいと思っているのか・・・などといったコア部分はすっ飛ばして、「とにかくホメときゃいい」とばかりにただホメるだけ。そんなのはゴルフで池ポチャを打っても、水の音が良かったといってホメるようなものだ。

 また、ホメられる側にも問題はある。
 ホメられたからといっていい気になって、内容もよく考えず相手の言いなりになっていると、ていよく利用されるだけのバカを演じることになる。

 カミさんにホメられて、家事手伝いをホイホイ機嫌よくやる程度のことなら、ていよく利用されても大した問題ではない。いや夫婦円満に貢献するのだから、ホメられてよい。
 しかし、世の中には悪い人間もいる。計算づくでホメて、不当な仕事をさせたり、悪どい儲けをたくらむやつもいる。

 そもそも、ホメられるにせよケナされるにせよ、人の言うことにたやすく影響される人間は、いわば自分のない人間だ。はっきりいってホメられたものじゃない。
 人がなんと言おうと、この問題に関する自分の考えはこうである、自分は自分の信念にしたがって行動する・・・といった1本すじの通ったものがあってこそ、初めていっちょまえの人間と言えるのではないか。

 明治維新の立役者のひとり、勝海舟は次のような言葉を残している。
「行蔵は我に存す。毀誉は人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候」
(私がどのように行動するかは私の考えによるものであって、それを貶したり褒めたりするの人の勝手、私にはまったく関係のないことである)

 ・・・なんてエラそうなコトを書いたが、これは人(勝海舟)の言ったことであって、わしには関係のないことだ。わしに関係するのはせいぜい、昔の人は偉いもんだなぁ、と感心してるところだけである。
 つまりわしの実体は、女房におだてられて彼女の手のひらの上をホイホイ走りまわっている、世の61%の亭主と同じだわィ。

  


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2018年01月12日

何とも言えぬ力

昨今は何かとジビエ・ブームのようなところがある。
ちょっと小粋なレストランに入ると、エゾシカやイノシシなどの
ジビエ料理の黒板メニューが出ていたりする。
ただ、盛りつけられて出てきた時には、特製ソースで彩られ
その野性味がすっ飛んで電熱墊しまって品の良い料理として供され、
「何コレ?」という状態になる。
元ソニーの社長出井伸之氏がジビエについて書いたエッセイがあったが、
それによると、彼が現役時代、厳しい冬のフランスの片田舎に飛び、
そこで地元の猟師が獲ってきたジビエを食するのが好きだったとあった。
ちょっと焦がしただけの血の滴るような肉を、口に血を付いたことも気にせず
貪るように食べると、身体の中に何とも言えぬ力が漲ってきたとある。
ジビエの効用はそんなとこ葵涌通渠ろかも知れない。
「私たちジビエで〜す」と、いい子ぶって皿に盛られているようでは、
その野性の効用というものが出ない。
大脳生理学者のセルジュ・ドゥブロフスキーは「食するとは殺戮の一種。
味覚が成り立つには破壊が伴う」などという物騒な表現がある。
食というものは、もともと誰かの命を頂戴しながら自らの命を延命しているもの。
日本人の「いただきます」は他のモノの命を供養して
頂戴する意味で使っているとも言われる。
食は一種の原罪のようなところがある。
高級レストランなどに行くと、
うやうやしくワゴンに乗せら痔瘡出血れた肉が運ばれてくることがある。
よく光ったシルバーの覆いをとると湯気を上げた焼きたての肉の塊があり、
それを、そのレストランの長たる料理人の手によって、
お客の注目する中で切り分け、一人一人のお皿に盛りつけられる。
このような様子は、まるで、司祭が捧げものにする獣の肉を
切り分けている姿のようでもある。レストランとは、
「司祭によって聖化されたもの」を食する体(てい)をとっているとも見える。
司祭の許しを得て、原罪を取り払い、食するようなものとも言えそうだ。

そういう考えからすると、ジビエは、野性的に食することで、
司祭が君臨するようなおさまり良い社会から逸脱した気分になる。
その反骨的野生感が強い力や活力になるとも言える。

「ジビエは野性的に食べることこそ本意なれ」
といったところだろう...
  


Posted by mikii123  at 16:45Comments(0)

2018年01月12日

識別するので




彼が出て行ったあとの静かすぎる部屋。寂しくはない。でも・・・


一年同棲していた彼が部屋を出て行った。

ドラマチックな恋じゃなかったし、だらだらと一緒に過ごすうちに好きとか愛情とかはいつの間にか消えてしまったので寂しくはない。

でも独りになってから何もする気が起きずいつもぼんやりしてしまう。

彼と暮らした、思い出と呼ぶにはあまりにも儚い朧げな記憶。

そんなある日、かわいがっているインコが立てる優しくて平和な音に小さな幸せを感じた・・



『幸せのかたまり』


まだ半分しか覚醒していない耳に、かすかな、ギョリ・・ギョリ、という音が聞こえた。小さな貝殻を擦り合わせるような静かな音だ。

麻結美は、膝の上に落ちていた文庫本を取り上げてテーブルの上に置き、軽く背伸びをしてから立ち上がった。

傾き始めた日差しのオレンジ色をした薄闇が入り込んだ部屋は、一瞬、景色が違って見え、自分の部屋ではない、どこか全然知らない場所に見える。

静かすぎるせいかもしれない。

特にすることもなかったので、何となく途中まで読みかけだった恋愛小説を読み始め、数ページも行かないうちに、キッチンの椅子に腰掛けたまま眠り込んでしまったようだ。

またさっきの、ギョリ、という音がした。その音の主は窓辺に置かれた鳥籠の中にいた。

「こゆきも居眠り中なのね」そっと近づいて優しく話しかけた相手は麻結美がこの部屋で一緒に暮らしているオスのボタンインコである。こゆきという名は、真っ白な羽色が雪を連動させたので小雪(こゆき)。

そのこゆきは、居眠りをしているとか、遊んでいる時以外で静かに寛いだ気分の時に、上下の嘴をこすり合せて、ギョリ、という音を立てた。だから彼がこの音を出しているということはリラックスして満ち足りている証拠である。

先々週までは、こゆきの他にも同居人がいた。約一年同棲していた同い年の彼氏だったが、麻結美のアパートの部屋に転がり込んで来た時と同じように、その少ない荷物と共に唐突に出て行って、彼と暮らす前のこゆきと二人の生活に戻った。

破局・・といえば破局なのだが、そんなドラマチックなものじゃないと麻結美は思っている。

大して行く気もなかった高校の時の同窓会に何となく出席して、その二次会で同じクラスだった彼と何となく意気投合し、そのまま成り行きでホテルに行った。

そしてどこが始まりなのか分からないうちに、いつの間にか恋人同士になり、お互いの仕事が休みの日にデートをしたりキスをしたり、一緒に住むようになってからは麻結美の狭いベッドの上で昼間から裸で抱き合ったり。しかしそんな何の進展もない恋は、いつかデートの最中に見た砂で作ったアート作品のように、サラサラとゆっくりゆっくり崩れて、気づかないうちに跡形もなく消えていた。

一緒に住む理由が消え失せてからも、しばらくの間、彼はこの部屋でグズグズしていた。しかし、愛情があろうと無かろうと、夕食後の歯磨きみたいに習慣になってしまったセックスのあとに、何気なく麻結美が口にした「いつまでここにいるの」という言葉によって二人とも魔法が解けたように我に返り、すべてはずっと前に終わっていたことに遅ればせながら気がついた。

まるで居眠りしている間に映画の本編が終わり、エンドロールが流れ始めてからやっと目が覚めた時のように。

だから彼が出て行く時も、惜別の涙や感動的な台詞はなかった。「さようなら」も今さらな気がしたから、彼が場違いな感じで「じゃあ」と手を上げ、麻結美が「うん」と答えただけでお終いだった。

ドアが閉まってジ・エンド。感動の拍手は無し。

失恋の痛みなどこれっぽっちも感じなかった。痛みは無かったが彼が出て行ったことはある後遺症を麻結美に残した。何もやる気が起きないのだ。昼間の仕事中は以前と何も変わらない。でも自分の部屋に帰ってきたとたん、身体がだるくなり気力がどこかへ行ってしまう。

日曜日には部屋から出なくなった。今日もそうだ。せっかくのよく晴れた休日なのに、いつまでもグズグズとベッドの上で毛布にくるまり、十時を回ってからやっと起き上がる。

そしてぼうっとしたまま部屋着に着替え、昨日の残り物で適当に遅い朝食を済ませてからダラダラと洗濯を終わらせると、すでにお昼近い時刻になっている。

どこかへ出掛ける気も何をする気も起きなかった。

彼が居なくなり一人になった麻結美の話し相手はインコのこゆき。

三年前、生まれたばかりのまだ毛も生えていないピンク色の小さなヒナから育てた。だから手乗りどころか手の中で寝てしまうほど麻結美に慣れて心を許している。

でもそれは麻結美に対してだけ。ボタンインコはとても賢く、人を識別するので、彼に対してはいつまで経っても懐かなかった。迂闊に手を出すと噛まれた。

「俺に焼きもち焼いているのかな」
「さあ。こゆきに聞いてみようか」
「聞くって、インコに言葉なんて分からないだろう」
「そんなことないよ。ねえ、こゆき」

彼と交わした他愛のない会話。思い出と呼ぶにはあまりにも儚い朧げな記憶。

またギョリっと音がした。見るとこゆきが薄く目を閉じて嘴をもぐもぐさせている。また微睡んでいるようだ。


なんだか幸せそう。


こゆきが作り出す小さなギョリっという音を聞くと、いつも平和で優しい気持ちになる。


鳥かごの扉をそっと開け、フワッと膨らんだ小さな体に触れた。

それは夢のように柔らかくて暖かで、麻結美は、何だか幸せのかたまりみたいだと思った。


小さな幸せがフワッと集まった小さな小さな暖かいかたまり。

優しく手の中に包み込んでみると、その幸せがじんわり流れ込んでくるような気がした。  


Posted by mikii123  at 16:36Comments(0)

2017年12月07日

楽しみにしていた

・・・・・・・っということで、帰りの飛行機の中で機内誌をめくっている。

行きの時に読んだ浅田次郎のエッセイが面白かったので、月が変わった今月を楽しみにしていた。

うん~~ん、面白くなかった。

プロの小説家でも毎回面白支付寶hk充值い読み物を書くのは至難の業なのだろう。

それでもちゃんと原稿料、それもかなりの金額であろうもの、が懐に入るのだから良い商売である。

ぼくなんかいくら書いたって、一銭にもなりゃしない。

実を言うと浅田氏はぼくとたった一つちがいなのである。

同じ時間を生きてきて、これ程の差が出来てしまうのは、文才の違いだよと言ってしまえばオシマイだが、ナンか不公平のような気がする。

ねえ神様。

・・・・・・・

さらにパラパラとページをめくっていると、腕時計の広告がやたら目につく。

機内誌ってぇのは昔からそうなのだから、q10 推薦宣伝効果があるんだろう。

しっかし、30万円もする腕時計をみて、おっ!オレも買おうって連中が同じ機内に乗り合わせていること自体が不思議である。

それにしてもゴチャゴチャしたデザインである。

時計って本来、時間を知るためのものだろう。

これじゃパッと見て何時何分だか分からない。

高い時計なんだから、長針と短針だけじゃ申し訳ないっていう気持ちも分からぬでもないが、これをサービス過剰というのじゃないだろうか。

目を懲らさなければ時間が分からないって、豐胸療程本末転倒だとおもうのだが。

なに言ってんのさ、だからビンボー人はヤだね。

腕時計はステータスシンボルで時間を知るためのものじゃないんだよといわれるのがオチだろうけどサ。

・・・・・・・ってなことを書いているうちに、飛行機はゴトンと着陸した。

国内線は楽だね。  


Posted by mikii123  at 19:10Comments(0)

2017年12月07日

替えが出来る」や

住宅について賃貸か購入か議論が絶えない。

賃貸のメリットは「ライフスタイルに合わせて住み替えが出来る」や「借り物だからいざという時は引っ越せば良い」とよく言われる。

購入のメリットは「社会的に一人前と認められるための見栄」や「相続税対策」がある。

賃貸を勧める本を読んだ。

購入した住宅を資産として考え、いつかは売る前提(例えば50年後)とすると、賃貸も購入もトータルでは大差が無いとあった。



これがずっと頭にありモヤモヤとしていた。

その原因は期間を決めて考えるからであり、もっと長い目、子の代に残す住まいとして見るとトータルが異なると気付いた。

賃貸はそこに住んでいる限りずっと家賃がかかる。

修繕積立費や管理費、更新料を抜いて家賃12万円/月とする。

1年で12万円/月×12月=144万円/年。

50年住み続けるとすると、144万円/年×50年=7,200万円。

定年退職してから20年後も年金からその家賃分を引いて生活するのはキツイと思う。



購入は外壁の塗り替え費用や固定資産税を考えないものとすると、住宅の購入費またはマンション価格にローンを組み、払いきれば老後の家賃支払いは上記の除外したものだけで済む。

自分の世代が亡くなった後、子がその住宅を相続して住むか売却するかは子次第だ。

子が新たに賃貸に住むなら上記の計算の様に12万円/月×n(月数) 家賃がかかる。



要注意として、購入はいつか売るかもしれないので、交通の便が悪い所や治安の悪い所はオススメしない。

売ると言っても買う人があって売れるからだ。

その土地に思い入れがあり、自分が生きている間は売らない前提なら、どこを買おうが本人次第だ。

  


Posted by mikii123  at 19:09Comments(0)

2017年08月25日

あなたは安心して、私はある

私たちはできない愛の名目で相手を縛る、愛情は自覚している。愛する人のため、心の底の浄土を待って、愛する人のため、自分の純粋さを守ります。
かもしれない最初の時、私達は恐れ惑うの。しかし、愛の深まりに従って、私達は多くのことを理解しました。どのように愛に行き、1つの学問です。愛の人は、もっと自重を知っている。
あなたが人の世は困難や苦しい時があるとは思って、人はずっと、貴方はすべてことではなく、ある人があなたと一緒に分担。あなたが紅塵の中で対処すると思って、疲れて、人はずっと、あなたのため、あなたが思うのは、どんな苦労があっても値打ちがあるの。
はい、それはどのように見ることが好きで、愛は長くなって心から心を安心して。
恋には、必要なのはこの環境の幸福感ではなく、労力を探し、苦心のを使わないではなく、盲目の追求は、疲れに猜疑心。
愛情、自然の降臨、経営のすばらしい能力を経営することです。
私たちが手を伸ばして愛に出会って、それは互いに手をつないで、俗世に対して1つ、  


Posted by mikii123  at 13:01Comments(0)